「笑い」と「マジック」――「裏切り」の追求――

「笑い」と「マジック」――「裏切り」の追求――
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作品名:『お化け屋敷』

演出:サンドウィッチマン 主催:グレープカンパニー 公開年:2018

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「笑い」「マジック」は親和性が高い。
ナポレオンズ、マギー審司、ふじいあきらなど、マジシャンとお笑い両方を兼ねる芸人が昔からいる一方、かが屋のスマホを使ったマジック的なネタや、チョコレートプラネットのマジックショーなのに何も起きないネタ、かまいたちの首が落ちるマジックを延々繰り返すネタなど、コントの中にマジックを取り入れる芸が年々増えつつある。

「笑い」「マジック」、この親和性の高さは一体どこから来るものなのだろう?

このワンシーンに注目

笑いの本質は「驚き」

 サンドウィッチマンのコントにお化け屋敷を題材に扱ったものがある。

 富沢が出すお化け屋敷のアイディアに伊達が突っ込みを入れていくというコントだ。机の上に日本人形が置いてあるのだが、舞台が暗転を繰り返す度に、その人形が徐々に伊達の方に近づいてくる。しかしその近づき方があまりにもさりげないので、観客は誰もそのことに気づかない。

 そして人形が伊達に近づききったところで、伊達は初めて人形に対して「これここにあったか⁉とツッコミを入れる。ここで、このコント中一番の笑いが観客から起こる。

 暗転を繰り返す度に、人形が観客にもバレないように移動する。「移動」マジックの一種と言えるだろう。伊達が鋭いツッコミを入れることで笑いに転じているが、ここでもし伊達が少しでも違うリアクションを起こしていれば、観客は「驚き」、もしくは「恐怖」のリアクションを起こしていたのではないだろうか? 伊達が正しいニュアンスのツッコミを入れているからこそ「笑い」に転じることが出来ている、伊達のツッコミとしての腕の確かさが伺える場面だ。

"お笑い芸人" と言う名の探究者

松本人志は「笑いの基本は『裏切り』だ」と言った。「思わず笑ってしまう」という言葉があるように、私たちはあまりにも自分たちの想像を超える出来事に出会うと「笑う」というリアクションを起こす。


「面白動画」と冠されている動画を観るとき、私たちは自分たちの想像を超える終わりをその動画に対して期待する。人の「面白い話」を聞くとき、私たちは自分たちの想像を裏切るオチを期待する。即ち、「笑い」とは「予想外」「意外性」から来るものだ。そしてお笑い芸人とはこれら二つの可能性を追求していく人たちだと言える。観客の想像を常に裏切っていく職業、それが“お笑い芸人”だ。

もう一人の探究者 それが "マジシャン"

しかし、観客の想像を常に裏切っていくという点では、

マジシャンも全く同じだと言える。予想外のところから人が現れる、予想外のところからトランプが飛び出す、コインが消えている、ハトが出てくる、移動している……

私たちの想像を裏切るものであればあるほど、そのマジックはレベルの高いものだといえる。しかし、凄すぎて「思わず笑って」しまうことはあれど、どちらかというと「笑い」より「驚き」の方が印象としては大きく残る。

マジシャンのセロの、メニューの中からハンバーガーを出すマジックをテレビで観たとき、私はかなりの衝撃を受けた。衝撃を受けすぎて「思わず笑って」しまった。やはり「驚き」は「笑い」につながる。その「驚き」と「笑い」、どちらの比重の方が高くなるかが、「お笑い」になるか「マジック」になるかの線引きになると思う。

進化し続ける「笑い」と「マジック」

ここ最近の「お笑い」は総合芸術に近いものになっている。映像、音響効果を駆使し、物語的要素も大きく加わり、芸人の演技も上達を見せ、演劇との境目も区別がつかなくなりつつある。それら要素を駆使して芸人は常に観客の「予想外」「意外性」の追求を目指している。そこには当然マジック的な要素も加わってくる。

「笑い」「マジック」、この競合の先には一体何が待っているのか。

さらにレベルの高い「笑い」か、それとも「マジック」のそれか。それとも、「笑い」とも「マジック」とも違う、全く新しい芸術媒体だろうか。その競合から今後も目が離せない

この記事のライター

シェークモハメドハリス
1994913日生まれ。日本とパキスタンのハーフ。中央大学経済学部経済学科卒。映像制作と脚本を中心に活動。

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