僕は、マジックでお客さんを笑顔にするために生まれてきました(前編)

僕は、マジックでお客さんを笑顔にするために生まれてきました(前編)
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< STORY WithMAGIC インタビュー企画 Vol.1 >

マジシャン まんぼう(前編)

マジックと共に生きるマジシャンたち。このインタビュー企画では、彼らの人生を紐解きながらマジックの魅力をお伝えするだけでなく、凄まじい速さで技術が進化する現代社会において、マジックの未来をどう予測しているのかを、たっぷりと語っていただきます。

プロフィール:マジシャン まんぼう

1978年9月6日生まれ。福岡県北九州市小倉にある、マジックバーまんぼうのオーナーマジシャン。ノリノリな音楽に合わせたマジックや、名物の「ちゃんとしてないマジック」などでお客様を笑顔にすることがモットー。

マジックをすることは生まれた瞬間に決まっていた

― まずは生い立ちから教えてください。

「1978年に1890グラムの未熟児として誕生しました。幼い頃から虚弱体質の喘息持ちで、喘息を治すためにスイミングクラブに通い出し、中学からは選手コースに入り競泳をやるようになりました。実は、中3から大学までの競泳人生において、中四国地区で一度も負けたことが無いんです。ある日、高校の水泳部を舞台にした『ウォーターボーイズ』を映画館で見て、すげえ楽しそうだなと。それで『ウォーターボーイズ』のことを調べたら、俳優陣にシンクロ指導を担当していたのが『水の道化師トゥリトネス』という水中パフォーマンスをする団体だと知りました。公演を見に行ったらやっぱり面白くて、『僕もメンバーに入りたいです』とその日に伝えました。それでフジテレビが夏休み中にやるウォーターボーイズショーに応募し、夏休みの間は毎日ショーに出演。夏休みの終わる頃にトゥリトネスに入れてもらいました。」

―マジックとの出会いもその頃ですか?

「はい、新人は開演までの30分間の前説を担当するんですけど、何をやろうかなってなった時にマジックをしようと思いつきまして。手当たり次第にマジックグッズを買ってきて練習したら、思いのほかウケたんです。トゥリトネスに入っていなかったらマジックとは出会ってなくて、トゥリトネスに入ったきっかけは水泳で、水泳を習うきっかけは喘息で、喘息になったのは未熟児だったからで、つまりマジックをするために生まれた訳です(笑)。」

マジックの師匠は、路上で出会った人たち

― どのように技術を磨かれましたか?

「もっとうまくなりたいと思って勉強していくと、テーブルマジックにも興味が湧いてきました。テーブルマジックは一方的に見せるものではないので、手先の練習は一人でもできるけど人とのやり取りは練習ができないんですよね。そこで取った手段が、路上です。酔っ払いやヤンキーに絡まれるような状況の中、路上でマジックをやっていきコミュニケーション技術が身につきました。『マジックの師匠は誰?』とよく聞かれるけど、僕は『路上の人たち』って答えています。」

― マジシャンになることの決め手は?

「路上でマジックをやるようになって、最初は投げ銭が小銭だったけど上達と共にお札に代わって、最終的には名刺を渡されて仕事に繋がりだしたんです。当時僕はまだ会社員だったので、そういったマジック依頼を仕事のために断ることが多々ありました。ある時、断らなかったら今月幾ら稼いでいたかを計算してみたら、会社の給料と同じぐらいだったんです。同じなら好きなことをしたいなあと思い仕事を辞めることにしたのですけど、実はこれが大きな間違いだった。辞職を決めた12月は忘年会やクリスマス会など宴会シーズンでマジック営業の仕事が多い月。年明けたら仕事が無かったです(笑)。決め手は勘違いでしたね(笑)。」

まんぼうさんがマジシャンになった決め手は勘違いだったという衝撃的事実!

さて、後編ではマジック業界の現在~未来という真面目なお話もする予定です。はたして真面目な話になるのか否か?

マジシャンまんぼうのオンラインマジックバーはこちら

協力
マジシャンまんぼう
北九州小倉:マジックバー まんぼう https://withmagic.com/?mode=f14

この記事のライター

金子夕生(かねこゆうみ):コピーライター
大阪にある広告制作会社㈱アドミレーションセンター所属。
趣味はお酒とお化け屋敷。

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